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■今週の市場展望

著者:青柳孝直

1/13号

『特集:経済大国・ニッポンの戦後70年』
  1. 2015年は戦後70年という節目の年。新年にあたり、その70年をザッと振り返ってみたい。第二次世界大戦で被った日本の傷は大きかった。戦死者や空襲による犠牲者は約300万人。機械設備・船舶等は大戦中の最大の水準から4分の1が失われた。また1946年の鉱工業生産はピーク時の5分の1に落ち込んだとされている。
  2. そんなどん底からスタートする日本のエポックは次の8点。「1950年 朝鮮戦争」「1960年 池田隼人内閣の所得倍増計画」「1971年 ニクソンショック」「1973年 石油ショック」「1985年9月 プラザ合意」「1989年 大納会で日経平均株価の最高値38,915円」「1997年~1998年 金融危機」「2009年3月 日経平均バブル後最安値7,054円」
  3. 1949年の卸売物価が戦前の208倍という激しいインフレの中、預金封鎖と新円の切替、そして財産税徴収は国民生活を更に追い込んでいく。そうした“絶望的な”危機を救ったのが朝鮮戦争だった。兵站基地となった日本から軍需物資の輸出が急増、50年代半ばからの行動成長の礎となった。56年の経済白書は「もはや戦後ではないと」記す。
  4. 朝鮮戦争後の十数年間の日本は、平均10%という高い実質成長率を経験する。その中で、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫、自動車、クーラー、自動車まで、耐久消費財が普及した。かくして池田隼人首相の唱えた「所得倍増計画」は実現する。
  5. そんな日本経済が転機を迎えるのは「ニクソンショック」と「石油ショック」だった。1971年、ニクソン米大統領は金ドルの交換を停止し、1㌦=360円に固定されていた円相場は、1973年、変動制に移行していく。そして石油高騰は、74年の消費者物価指数を22%を超える動きとなり、戦後初めてのマイナス成長へとつながっていった。
  6. こうした“アクシデント”を経ながら日本は、60年代後半からは米国に次ぐ世界第2の経済大国と呼ばれるようになっていく。世界はそれを「奇跡」と呼んだ。しかし80年代になって暗転する。
  7. 急増する日本の対米黒字に対する批判が大きくなる中で、1985年9月のプラザ合意による円高誘導に応じざるを得なくなる。国内外で沸き起こった内需拡大の大合唱は金融の超緩和と結びつき、バブル時代へと突入する。
  8. バブルの絶頂(=象徴)と言われるのが1989年の大納会で記録した日経平均株価38,915円。しかし翌90年から株価の急落、92年からは地価の急落をもたらすことになる。その結果が97年から始まる(不動産担保を中心としてきた)日本の金融危機だった。
  9. 名目国内総生産(GDP)はこの70年でほぼ1000倍になった。日本経済70年の歩みを振り返ると、前半は経済大国にのぼりつめた「成功の35年」、後半は構造調整に苦しんだ「苦悶の35年」だった。経済のグローバル化とIT化が進捗する中で、日本経済はどうなっていくのか。少なくとも、「成功の35年」の常識が通じる世界ではないと思う。
青柳 孝直
(あおやぎ・たかなお)
【略歴】
国際金融アナリスト
1948年 富山県生まれ。
1971年 早稲田大学卒業。
世界の金融最前線で活躍。日本におけるギャン理論研究の第一人者との定評を得ている。
著書は、『新版 ギャン理論』『日本国倒産』など多数。翻訳書としては、『世界一わかりやすいプロのように投資する講座』など。

連絡先:
株式会社 青柳孝直事務所
〒107-0052
東京都港区赤坂2-10-7-603
TEL:03-5573-4858
FAX:03-5573-4857


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