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■今週の市場展望

著者:青柳孝直

10/20号

『特集:東海道新幹線開業、東京五輪から50年。団塊世代50年』
  1. 東海道新幹線は1964年10月1日、ひかり・こだまが1時間の上り下り1本ずつ、1日計60本の運行で開業した。平均乗客数は6万人。最高時速は当時世界最高の210キロ。東京・新大阪間は4時間。開業は10月10日の東京五輪開会式に合わせたものだった。
  2. 翌65年11月に3時間10分に短縮。69年の大阪万博を前に、1時間にひかり3本、こだま6本を運行するようになり、70年の平均乗客数は23万人。85年に最高時速220キロの100系車両が導入され、86年の東京・新大阪間は2時間52分。
  3. 92年に300系のぞみが導入され、270キロの運転を開始すると東京・新大阪間は2時間30分に。そして07年に700系が導入され、東京・新大阪間は2時間25分に。また乗客数は40万人を超える。
  4. 以上がざっくりした東海道新幹線の歴史だが、開業当時の東海道新幹線は“高嶺の花”だった。「そんな夢の世界がある」とは知らされていても、「いつになったら乗れることやら」といった状況だった。
  5. 新幹線という名の列車に乗車するのは82年11月の上越新幹線開業から。大宮発の上越新幹線に乗車するのに、都心から大宮まで30分超の京浜東北線乗車が必要だった。ついで始発が上野になり東京駅となっていくが、新幹線の主役は常に東海道新幹線だった。
  6. 東海道新幹線に乗車できたのは(多分)80年代後半からだったと思う。当時は食堂車があり、所定の座席に荷物を置いたまま、大方の時間を食堂車で過ごしたこともなつかしい思い出である。食堂車から富士山を眺めた時、“夢が適った”と思ったものである。

    東海道新幹線開業50年は東京五輪50年とも重なり、そして団塊の世代50年の歴史である。命名者・堺屋太一氏の定義では「1947年から49年の3年間に生まれた806万人」を指すことになっている。現存人口は668万人(2010年調査)。
  7. 1964年前後の時代の象徴。まず石津謙介の主宰するバンジャケット。アイビールックが大流行し、「みゆき族」なる若者が銀座を闊歩していた(田舎者には“高嶺の花”だったが…)そして銀座ソニービルの完成と銀座三越に第一号店が開店するマクドナルド。そして忘れてならないのが(今も現役の)「資生堂MG5シリーズ」。
  8. 団塊の世代は「学生運動・反抗・挫折と」いった単語で語られがちだが、団塊の世代が戦後の日本に与えた最大の影響は「大量消費社会の担い手」であったことは間違いない。結局、数を誇る団塊の世代の若者に、社会も企業もすり寄っていった。ただその蜜月も80年代で終わりを告げる。「数」が重荷になり始めるのである….
  9. 考えてみれば東海道新幹線開業も、東京五輪開催も、団塊の世代の青春も、戦後の日本の右肩上がり高度成長時代の象徴だった。50年という年月がごくごく自然に流れていった。思えば遠くに来たもんだ…そんなセリフが自然と口から出始めている。
青柳 孝直
(あおやぎ・たかなお)
【略歴】
国際金融アナリスト
1948年 富山県生まれ。
1971年 早稲田大学卒業。
世界の金融最前線で活躍。日本におけるギャン理論研究の第一人者との定評を得ている。
著書は、『新版 ギャン理論』『日本国倒産』など多数。翻訳書としては、『世界一わかりやすいプロのように投資する講座』など。

連絡先:
株式会社 青柳孝直事務所
〒107-0052
東京都港区赤坂2-10-7-603
TEL:03-5573-4858
FAX:03-5573-4857


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